FIRE(早期退職)ブログ②ブラック企業 パワハラ社長からの脱出〜後編〜

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〔それでも早期退職したかった理由〕
58歳で念願の早期退職を実現。前編(FIRE(早期退職)ブログ①ブラック企業 パワハラ社長からの脱出〜前編〜)では早期退職を決意したきっかけについて書きましたが、後編では実際に早期退職をするまでの状況について書きたいと思います。
パワハラ社長を告発したものの、その後は処分等もなく別部署へ異動、部長に昇進。担当部署の業績も好調で、部下との人間関係も良好…と、いいことづくめの会社生活になりました。
正直言って60歳定年まで働いた方が、退職金も満額もらえ、早期退職に関する煩わしい手続きもないため、妥協して働き続ける方が楽という状況ではありました。

それでも、早期退職への気持ちがゆるがなかった理由は主に2つあります。

ひとつ目の理由は、趣味の旅行です。
私たち夫婦は旅行、特に海外旅行が好きで、コロナ前は年に1回は海外旅行をしていました。
長期休暇が取りにくい職場でしたが、何とかやりくりして、毎年1週間ほど夏休みを取得しておりました。
それが、2020年に発生したコロナ禍によって自由に旅行ができない世の中になり「やれる時にやりたい事をやらないと後悔する」と強く感じました。
また、50代を過ぎた頃から、風邪を引くと以前より回復に時間がかかるようになり、体力の衰えを感じるようになりました。
海外旅行は、長時間の飛行機での移動や街歩きなどに体力が必要で、健康でないと旅を楽しむことができません。
少しでも若く体力のある内にいろいろな場所へ旅行に行ってみたいということが早期退職の大きな理由です。

ふたつ目の理由は、会社をとりまく環境の変化です。
パワハラ ワンマン社長が長期にわたり舵取りをしたおかげで会社の業績は順調に悪化し、コロナ前に赤字に転落しました。赤字経営が続いたことで、親会社がやっと重い腰をあげて徐々に経営に口を出してくるようになりました。
その第一弾が社長の交代です。我々からすればすでに手遅れという思いもありましたが、やっとこの独裁政権が終わってくれるという喜びの方が大きく変化への期待も高まりました。
新社長も親会社からの転籍ですが、前社長とは異なり人格者で、他者の意見を聞き入れる方でした。新社長就任あいさつで「皆さんと一緒にこの苦境を乗り越えていきましょう」という言葉を聞いた時には「これでやっとまともな会社になれる」と感動で目頭が熱くなりました。
しかし、新社長の不運は、社長交代が2019年12月だったことでした。
2020年3月からコロナ禍が世界を席巻し、直営店舗主体の当社は業績が急速に悪化しました。新社長を迎え、従業員がやる気になり、これからという時に水を差すような状況となってしまったのです。
親会社の食品事業は、コロナ禍で家消費が増え、逆に業績が好調となったため、当社の業績不振のみが悪目立ちしてしまいました。
結局、新社長は業績不振の責任を負わされ、1年で交代することになり、また新たな社長が送り込まれることとなりました。
ちなみに、親会社の社長へのゴマすりを怠らないパワハラ ワンマン前社長は、責任をとらされることなく会長職に留まるという驚くべき人事でした。
次にやって来た新社長は抜け目のない人物で、就任時に親会社から自分の子分を数名引き連れてきて、主要部署(人事総務・経理・開発)のポストをかため、今までの部長を外しました。
赤字会社を立て直すためには、経営陣の刷新が重要なことは理解できますし、正しいやり方だとは思うのですが、今までパワハラ ワンマン社長の圧政下で耐えてきた我々としては複雑な心境でした。
本来一番責任を負わなければいけない人物が、会長職(実質的な権限はないとしても)におさまったままで、新経営陣から「なんで今までこんなやり方をしてきたのか」「こんなことをしているから赤字になるんだ」などと一方的に責められても、なんの決定権も持たされていなかった我々としては反発心が生まれるのみでした。とてもみんなで力を合わせて会社を良くしていこうという気持ちになれません。
今まで長期的な経営戦略を策定もせず、毎年達成できそうにない目標数値のみ掲げ、気合と根性で目標を達成させようとするやり方は、昭和の高度成長期しか経験のない前社長の経営の失敗の結果であったという検証をしっかりとして欲しかった。そして、一番の責任者に責任をとって欲しかったという思いしかありません。
責任の所在の明確化がされなかったことの他に虚しさを感じたのは人材の枯渇です。時代遅れのパワハラ ワンマン社長に嫌気がさした優秀な若手は次々退職、計画的な採用や人材育成・人員配置をしてこなかったため、次に会社を支える人材が居なくなってしまったのです。
このような状況のなかコロナ禍が収束しても、他チェーン店のような急激な業績回復は進まず、不採算店の閉店を加速することで赤字幅を縮小するという方法しかありませんでした。
まともな経営がなされていたならば、もっと成長していたはずなのに…と思うと、会社に未練はなくなってしまい、これからの転落を見ていることがつらくなり、残される部下には申し訳ないと思いつつ、早期退職を決意しました。
〔円満な早期退職をするためにやったこと〕については次回お伝えしたいと思います。

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